紅花の栽培から染め、織りまで
「最上紅花」による紅色を復元、普及へ
新田家は、武士の家で代々続いてきた機屋。米沢藩主・上杉鷹山によって始められた絹織物・米沢織を守り育ててきました。そんな新田家の3代目にあたる先代の新田秀次が、化学染料に押されて幻と化していた最上紅花を甦らせるべく昭和38年に紅花染の研究に着手。試行錯誤の末に習得した紅花染を米沢織に生かすことに成功しました。以来、株式会社新田では、紅花をはじめ、藍、くちなし、ざくろ、くるみなどを原料とする草木染から織りまでを一貫して行っており、さまざまな賞を受賞するなど、伝統工芸の分野で高い評価を得ています。
![]() 寒さ厳しい季節に、冷水による染めの作業が続く |
![]() 最初の染めでは、淡い朱色 |
機織りの音を聞いて育ち、米沢織の世界へ
鮮やかな紅花染で新たな伝統を築く
父親も機織りの仕事をしていたことから自然にこの世界に飛び込んだという末野隆英さん。その職人としての修業は、いつしか織りから染めへ。草木染に携わるようになって24年、新田で織られる米沢織のほとんどを末野さんが手掛けています。紅花染めは、寒さの最も厳しい時期でないと、あの鮮やかな色が出ないというので染めはもっぱら真冬の作業。春から夏にかけては、紅花の種まき、収穫、間引き、花摘み、そして紅餅づくりに精を出します。紅餅とは、生花から作る染料のこと。摘んだ紅花の花びらを自然発酵させてから、丸めやすい状態になるまで臼でつき、煎餅状にして乾燥させたもので、染料や口紅のもとになります。末野さんは、これらすべての工程を取り仕切り、より美しい紅花染を追究し続けているのです。
そんな末野さんを工房に訪ねたのは2月の上旬。暖冬とはいえ、さすがに吹く風は冷たく、水も刺すように冷たい中、寒ざらしといって紅花で染めた絹糸を冷たい空気にさらす作業を行っていました。染めてはさらす、それを幾度も繰り返して思い描く紅色へと近づけていきます。染めを重ねること八回で八塩染めといい、そこまでして初めて日本の伝統色、韓紅(からくれない)に染め上げられるのだそうです。
![]() 数回にわたって紅花染を施した絹糸を「寒ざらし」する末野さん |
![]() 八塩染で韓紅(からくれない)に染め上げられた絹糸 |
紅花をはじめ、さまざまな草木染を追究、
多彩な色彩でふるさと米沢を表現
長年、紅花染に取り組んでいる末野さんでもまったく同じ色を出すことはできないというほど繊細な紅花染。その年の紅餅の出来具合や染める時の気候、赤を発色させるための米酢や烏梅(うばい)の加減によっても微妙に色合いが変わってくるのです。その紅色の探究に加えて、末野さんはさまざまな種類の草木染を手掛けています。アカネ、くちなし、ざくろ、藍、最近ではサクランボの木やリンゴの木の枝を煮出して染料にすることにもトライしています。「自然界にはこんなに緑があふれているのに、草木染で緑を出そうとするとすごく難しいんです。これからは、米沢らしい原料から米沢らしい色を出すことに挑戦していきたいですね」と末野さん。真冬の水仕事で大変な毎日。それでもつややかできれいな末野さんの手がとても印象的でした。昔から女性の冷えなどによいと薬用としても重宝されてきた紅花だけに、その効用に違いないと勝手に納得してしまいました。







